北斗星乗車記・乗車記録(#374~#375) Boarding record and Travel diary of Hokutosei
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#375 |
2011.5/21 北斗星(下り) 上野→札幌 (B1) ▼Next ▲Prev ■Menu |
折り返し、再開翌日の「北斗星」で ともかく今回は震災・運休後の「北斗星」の再開をひと通り見届けるのが目的でしたから、上野に着いたその日の折り返し下り列車でそのまま札幌に戻ります。 私がこの列車に特別な思いをもって取り組んできたのは皆様ご承知の通りですが、自分としてはあくまで「移動手段」として、つまりは仕事であれプライベートであれ、あくまで現地に目的があってその為の足として利用するというのがささやかな拘りでした。 今回のように乗る事自体が目的というのは、実はかなり珍しいケースです。 恐らくは3年前、減便・廃止となる旧「北斗星1号」の最終便に乗りに行った時以来でしょうか? いつも以上に大勢のファンの方々がカメラを構えて見守る中、「つなげよう、日本。」のスローガンを掲げた機関車に牽かれた再開2日目の下り「北斗星」は定刻通り上野駅を発車しました。 往路よりは若干乗客も多いようですが、見たところB寝台車などはまだ1両に数人程度。 それでも1人用B個室「ソロ」はほぼ満席だったようですから、一般の観光客、用務客よりも、やはり今夜乗られているのは「再開を待ちわびていた熱心な北斗星リピーターさん」が多いようです。 往路同様、徐行運転による遅延の可能性も予告された上での運転再開でしたが、思いのほか順調に走り続けています。 手元の時計で21時53分、定刻通り郡山発車。 時刻表上では1分後の54分、実際には大抵「北斗星」と同時に発車していく磐越西線・喜多方行きの快速列車も、いつものように駅構内からしばらく傍らを併走し、やがて左手にカーブを描いて遠ざかっていきました。 テーブルを見ると、昨年暮から使われていた立派な革表紙のメニュー表が消えていました。(→10.12/19参照) 提供されるメニュー自体は以前と変わっていないのですが、これも何か長期運休の影響だったのでしょうか? 往路の上り列車では食堂車の営業がありませんでしたから、こうして車内で温かい食事を頂くのも久々です。 何を頂くかちょっと迷いましたが、やはり昨年暮のメニュー変更以来、すっかりお気に入りの「煮込みハンバーグ」を選びました。 顔なじみのアテンダントさんとも震災前以来の再会。 未だ震災で苦しんでおられる方々も多い中、「嬉しい」などという言葉を使ったら叱られるかも知れませんが、2カ月以上にも及んだ運休中の不安な時期を乗り越えて、こうして皆さんが元の職場に戻ってきて下さったことを私も心底喜ばずにはいられませんでした。 仙台手前、車窓左手に見える幾本もの電波塔。 以前は色とりどりにライトアップされた美しい姿が夜空に浮かんでいたのですが(→09.2/2参照)、今は赤い標識灯が小さく点るばかりです。 ほぼ定刻…手元の時計では僅かに2分ほど遅れて仙台に到着。 今朝の上り列車では気付かなかったのですが、1番線ホームの壁面タイルには痛々しい補修跡が残っていました。 定刻23時30分より若干遅れて仙台発車。 月の綺麗な夜でした。 手元の時計で2時07分に上り「カシオペア」、続いて2時18分に上り「北斗星」がすれ違っていきました。 昨晩同様、いつもより数分程度は遅いものの、上下ともさほど大きな遅延にはなっていないようです。 青森手前で目が覚めると外は雨が降り始めていました。 早朝4時20分頃、やはり若干の遅延で青森信号場に到着。 いつものように切り離されていく機関車の姿がいつになく頼もしく感じられました。 見ると、すぐ隣には貨物会社の赤色の電気機関車「EF510」が停まっていました。 詳しい方ならご存知の通り、「北斗星」を牽くJR東日本の「EF510」の設計母体になった車両です。 同じ形の機関車でも、色によってこんなに印象が変わるものかと改めて感心してしまいました。 多分、運休前には以前は無かったような気がするのですが… 1号車デッキの貫通扉に「貫通妻開戸掛金忍錠の取り扱いについて」なる説明書が貼られていました。 震災翌日の3月12日(土)に予定されていたダイヤ改正に伴う編成変更で、これまでは基本的に編成最後尾(または最前部)に連結されていたこの車両も編成中間に組み入れられる可能性が増えたことから、車両基地での入換作業に備えてこのような説明が用意されたのだと思われます。 やはりダイヤが若干乱れているのか、いつもは海峡線内のトンネル内ですれ違う青森行きの上り「はまなす」が、今日はトンネルを出たところで停車していました。 よく見ると、いつもはB寝台車が連結されている函館側の編成最後尾に今日は普通座席車が連結されていました。 ちょっとしたレア編成です。 函館手前の6時28分、「徐行運転の為、7分ほど遅れて運転しております…」と朝一番の車内放送。 遅延は森時点で5分に縮まり、八雲手前では「遅れを取り戻して時間通りの運転となっております…」とのアナウンスが流れました。 いつものように洞爺を過ぎたあたりで朝食の食堂車へ。 やはり久々なので随分迷いましたが、以前頂いたパンの美味しさが懐かしくて今朝は洋食を選びました。 こちらも基本的に昨年暮のリニューアル時と同じメニューですが、唯一、デザートが小樽のプリンから夕張メロンゼリーに変わっていました。 人が線路に立ち入ったとかで、登別を過ぎたところで緊急停車がありましたが、その後は順調に回復して南千歳では3分遅延。 終点札幌にはほぼ定刻通りの到着となりました。 再開2日目(日付を跨いだので3日目と言うべきでしょうか?)、しかも日曜日とあって、札幌駅には大勢のファンの方々が集まっておられました。 もしかしたら…とは思ったのですが、案の定、熱心な「北斗星フリーク」の友人も息子さんを連れて来られていました(笑)。 11時32分、車両基地へと引き上げていく「北斗星」のテールライトが見えなくなるまで見送りながら、曲がりなりにも、ようやく戻りつつある日常の有難さを改めて考えさせられました。 この列車と、列車で働く人々の安全と、そしてこの列車が一日も長く走り続けてくれることを今は只々祈るばかりです。 ▼Next ▲Prev △Page top ■Menu |
#374 |
2011.5/20 北斗星(上り) 札幌→上野 (B1) ▼Next ▲Prev ■Menu |
2ヶ月ぶりの「北斗星」、再開一番列車の旅 東日本大震災の影響で長く運休が続いていた「北斗星」、その運転再開一番列車に乗る機会が得られました。 いつもの「北斗星乗車記」と比べるとかなりのボリュームになってしまいますが、垣間見た現地の風景やいつもと違う車中の様子など、多少なりとも感じ取って頂ければ幸いです。 ~#1.札幌出発から深夜の盛岡手前まで~ 運転再開のリリースが流れたのがちょうど1週間前の5月13日で、寝台券の発売開始は5月17日の午前11時。 さすがに少々慌しい出発でした。 17時03分、遂に「北斗星」が札幌駅に戻ってきました! TV局などの取材の方々も大勢来られて大変な賑わいでした。 実は私も某道内民放局のインタビューを受けさせて頂いたのですが、果たして放送はされたのでしょうか? 運転再開のリリースでも予め報じられていましたが、今日の上り列車に限って食堂車の営業がありません。 最初はコックさんが来られないからかな?とも思ったのですが、上野ベースのアテンダントさんも(多分飛行機で?)来札し乗務されていたので、恐らくは食材の積み込みか、厨房機器の都合でしょうか? ちなみに下り列車では今日から通常通り営業されるとの事です。 食堂営業が行われない代わりに、厨房寄りのテーブルに商品を並べて売店として営業していました。 また、通常通りのワゴンサービスもあり、アテンダントさんは食堂とワゴンでそれぞれ1人ずつ、計2人で乗務されていました。 普段は専ら食堂車利用なので、私にとって「北斗星」で駅弁を頂くのは異例中の異例です。 積まれていたのは札幌駅の駅弁でおなじみの「弁菜亭」さんのお弁当でした。 「今日のコーヒーは札幌で落としたんですよ」とワゴンサービスのアテンダントさん。 いつもは車内で落としているようですが、厨房の機械がまだ暖まっていないとかで、勿論今回限りの措置なんだそうです。 いま積んで売っているものが無くなったら車内で落としたものを補充する事になりますから、もしかしたら数時間後に頂くものとは味が微妙に違うかも知れませんね。 苫小牧あたりから雨が降り始めました。 登別駅のホームの向こうには、山桜?がまだ綺麗に咲いていました。 伊達紋別で上り特急「北斗17号」と行き違い。 向こうの列車の乗務員さんが、デッキの窓から興味深そうにこちらを覗きこんでおられたのが印象的でした。 私が今夜の…というか運転再開後の最初のシャワー利用だったようです。 乾ききった床は先客がいない証拠、実に気持ちよく利用させて頂きました。 ちなみにシャワーカードは震災運休とは関係なく、在庫調整の為かもう随分前から「カシオペア」の絵柄のものが使われています。 シャワーから出るとほどなく森に到着。 以前は海側の側線に何台も停まっていた普通列車のディーゼルカーが全く見えないので不思議に思っていたら、ちょうど「北斗星」が動き出す頃になって追いかけるように1台(1本?)が入ってきました。 もしかしたら運休中に行われたダイヤ改正の影響で、何か車両運用に変化などあったのでしょうか? 引き続き売店営業中の食堂車。 急に決まった運転再開とあってか、そもそも今夜はこの列車自体が信じ難いほど閑散としているので、食堂車を訪れるお客さんも少なくアテンダントさんも少々淋しそうでした。 途中数分程度の遅れはありましたが、函館までにはすっかり回復したようです。 ここからどの位お客さんが増えるのか気になったのですが、私が気付いた範囲では恐らく数名程度…でしょうか? ここまで、B寝台車は概ね1両に1~2人。 ホームから見ると個室でも中に人の気配があるのは大体その程度の割合でしたから、もしかしたら乗車率にすると1割未満になってしまうかも知れません。 それでも、ホームに降りて機関車交換の作業を写真に撮られている方はいつものように見受けられましたから、やはり運転再開を待ちわびて乗りに来られた熱心なファンの方も結構おられたようです。 いつもは大体、函館を過ぎたあたりでパブタイムの食堂車に行く事にしているのですが、今夜はそれもないので、最後尾デッキに立ってしばらく車窓を眺めてみることにしました。 函館湾から津軽海峡へと続く海沿いの区間、残念ながら函館山は天気が悪くて見ることができませんでしたが、灯台の光がゆっくり動いていく様がしばらくの間見えていました。 結局、青函トンネルを通り過ぎるまでずっと最後尾に立ってました。 新幹線開通に向けての作業なのか、それとも通常の保線作業なのか、時々トンネルの壁際から人影が現れてビックリします。 たまたま私が気付かなかっただけなのか、入口(北海道側)の目印の青いランプと、トンネル最深部を示す緑色のランプはなぜか見つけることができなかったのですが、出口(本州側)の青いランプはしっかり点っているのが確認できました。 手元の時計で23時22分、札幌行きの夜行急行「はまなす」がすれ違っていきました。 震災後いち早く運転再開となり、「北斗星」運休中も北海道~本州連絡の重責を担い続けてきた列車です。 既に再開されている「トワイライトエクスプレス」、まずは今夜の下り列車から走り始める「カシオペア」も含めて、これでようやく北海道方面の夜行列車が全て正常に戻ったことになります。 青森信号場での機関車交換。 車内からは見ることはできませんが、ここで先頭には昨年デビューしたばかりの新鋭機関車「EF510」が連結されたはずです。 「北斗星」運休中は専ら首都圏の貨物列車などを牽いていたこの機関車にとっても、今夜が久々の晴れ舞台です。 手元の時計で1時01分、下り「カシオペア」の再開一番列車とすれ違い。 続いて2時17分、いつもより5分ほど遅いタイミングで下り「北斗星」とすれ違いました。 東北方面では未だ徐行区間があるとの事で、遅延の可能性も予告された上での運転再開でしたが、とりあえず今のところは「ほぼ定刻」と言っても差し支えない順調な運行です。 (続く) ~#2.早朝の松島・仙台から福島まで~ 宮城県に入るあたりから徐々に空が白み始めました。 順調に走り続ける車中にいると震災の痕跡にもなかなか気付かないものですが、線路の様子を気をつけて眺めていると、真新しい砂利が撒かれた補修跡が随所に見られ被害の大きさを窺い知る事ができます。 沿線は田植えの時期でしょうか? 水をたたえた水田の穏やかな風景がどこまでも広がっていました。 ほんの一瞬、眼下に見える松島湾のヨットハーバーとJR仙石線・陸前浜田駅。 ここからでは被害の様子は分かりにくいのですが、帰宅後確認した津波被害の範囲を示す資料によると(※注)、概ねJR仙石線の線路の向こう側まで浸水していたようです。 松島湾と線路が最も近付く区間。 すぐ海側を併走するJR仙石線の線路の砂利が真新しくなっているのに気付きました。 上の場所からトンネルひとつ抜けたところで、線路際に取り残されたように白いボートが置かれていました。 地面には泥が乾いたようなひび割れの痕。 もしや津波の痕跡か?と上記資料で確認したところ(※注)、やはりこの一帯は線路も含めて冠水していたことが分かりました。 海岸を走る区間が比較的少ないJR東北本線。 私が実際に見た範囲に限って言えば、津波被害箇所は恐らくこれが唯一だったと思います。 松島から仙台に向かう途中、切り通し区間の側壁が真新しいコンクリートで補強されていました。 仙台手前、JR貨物の車両基地。 沢山並んだ機関車の中には「がんばろう東北」のスローガンが貼られたものもありました。 手元の時計で早朝5時、数分の遅延で仙台に到着。 この駅も甚大な被害が伝えられていましたが、だいぶ復旧も進んだのか、少なくとも車内から眺めた在来線ホームの様子は以前とそう変わらないようにも感じられました。 それでも、よく見るとホームの一部に補修跡とおぼしき痕跡を確かに残されていました。 仙台発車後、併走する東北新幹線の高架橋にも確かに数多の補修跡がありました。 仙台のひとつ隣、長町駅近くの再開発用地には沢山の仮設住宅が立ち並んでいました。 仙台空港行きのアクセス路線、仙台空港鉄道が分岐する名取駅。 震災報道でもしばしば耳にした地名ですが、津波被害が及んだのはもう少し海側の方だったようです。 しかし空港が再開された現在でも仙台空港鉄道は被害甚大で引き続き運休中。 名取駅から分岐する線路も錆が浮いていました。 屋根にブルーシートを貼った家は至るところで見られました。 県境を越えて福島盆地へ。 遠目には今までと何も変わらぬ平和な風景ですが…。 手元の時計で6時02分、やはり数分遅延で福島到着。 いつもは「北斗星」到着の後を追うようにやってくる福島交通の始発電車も、今日は逆に「北斗星」よりも少し先を走っていたようです。 ところが何かアクシデントでもあったのか、2両編成の電車は駅手前の中途半端なところで停まったまま。 そのうちに線路を走って駆けつけた職員さんが電車に乗り込み、ようやく動き出す一幕がありました。 普段と比べても随分閑散としていた福島駅ですが、それでも久々に現れる「北斗星」に向けてカメラを構える方が何人かおられました。 この先も、きっと駅毎に多くのファンの方々がこの列車の到着を心待ちにされているんでしょうね。 (続く) (※注)津波被害の状況については下記Webページを参照させて頂きました。 「2011年3月11日東北地方太平洋沖地震に伴う津波被災マップ」 (日本地理学会災害対応本部津波被災マップ作成チーム) http://danso.env.nagoya-u.ac.jp/20110311/map/index.html(※PC用) ~#3.郡山・那須から終点上野まで~ 車両基地や工場などもある郡山は、貨物も含めて多くの列車や路線が集まる輸送の要衝。 震災後は不通が続いた東北本線に替わっていち早く磐越西線経由の迂回ルートが拓かれ、ここ郡山に向けて燃料輸送のタンカー列車が多数運転されたのは記憶に新しいところです。 今朝も駅構内には沢山のタンク車が停まっているのが見えました。 郡山発車後、ほどなく進行方向右側には現在も避難所として使われている「ビッグパレットふくしま」の巨大な建物が見えてきます。 隣接地には仮設住宅らしきプレハブが多数建てられているのも見えました。 白河手前、晴れていれば左手に那須連山が望める例の大カーブのあたりで、ちょうど下りのタンカー列車とすれ違いました。 今までこのあたりですれ違った記憶はありません。 恐らくは被災地向けの支援列車でしょうか? 県境の高い鉄橋を渡って栃木県に入ると、線路敷が突然真新しくなりました。 勿論ルート自体は変わってはいないのですが、かなり大掛かりな復旧工事が行われた様子が伺えます。 このあたりはカーブが続き、盛土や切り通しなども多く、しばしば災害に見舞われやすい区間でもあります。 昨晩に続き食堂車は売店営業のみですが、「お買い上げになったお弁当を食堂車でお召し上がり頂けます」とアナウンスがありました。 これはこれで珍しい体験です。 仙台で積み込まれたお弁当と一緒にお茶を求めると、缶入りのお茶を厨房で温めて、湯飲みを添えて出して下さいました。 「こんな殺風景ですみません…」とアテンダントさんは恐縮されていましたが、むしろ制約のある中でも出来うる限りのサービスを考えて下さっている様子が微笑ましく、こちらも心温まる思いでした。 2ヶ月ぶりの「北斗星」の勇姿を捉えようと、線路際では大勢のファンの方々がカメラを構えておられました。 大宮を過ぎると「さいたまスーパーアリーナ」のすぐ脇を通過します。 ここも一時期、福島方面から避難された方々の避難所として使われていました。 本当に身近なところにも様々な影響が及んでいたんだと改めて感じさせられました。 終着間際、尾久の車両基地を通過する時、留置されている機関車に「がんばろう日本」のステッカーが貼られているのが見えました。 仙台、福島、郡山と、東北地方を貫いて走る「北斗星」の機関車には最も似合うメッセージかも知れませんね。 ちなみに上野に着いてから確認してみたところ、今乗ってきた上り列車の機関車にはまだ貼られてはいませんでした。 車両基地に戻るタイミングなどを見計らって少しずつ貼り付けているのでしょうか? 東北地方には未だ徐行区間も残っているらしく、遅延の可能性も予告された上での運転再開でしたが、走ってみれば終着・上野にはほぼ定刻通りの到着でした。 札幌駅で下りの再開一番列車を出迎えた友人によると、そちらも遅延は僅かに2分との事。 予想以上に順調な運行状況だったようです。 空席の目立つ車内はちょっと寂しい様子でしたが、首都圏、南東北と北海道が再び一本の列車で結ばれたのは何とも頼もしい限りです。 観光需要のみならず、例えば被災地域に向かう人々の足としても、今後大いに役割を果たしてくれる事と期待しています。 (続く) ~#4.補足~ 実はこの再開一番列車、3月12日(土)に行われたJRグループ・ダイヤ改正後はじめての「北斗星」でもありました。 今回の改正では「北斗星」の客車編成にも若干の変更があり、従来2号車に連結されていた2人用B個室「デュエット」が個室ではない開放式B寝台車に正式に置き換えられることになりました。 もっとも、以前から2号車には検査や車両故障等に伴い「代車」としてB寝台車が連結される事が多く、特に改正を控えた時期には正規の「デュエット」が連結される事は殆ど無かったので、実質的には改正前から置き換えられていたと言っても差し支えないでしょう。 このタイミングでの編成変更、これまでは6両しかない「デュエット」車両が上り・下りで各3両ずつ、予備車のない状態でフル稼働していたので、突発的な車両故障等に対応しきれなかった…という事情があったのではないかと推察しています。 更に言えば、その裏には車両自体の老朽化といった要因も否めないでしょう。 今後は単純計算で常時2両の予備車が確保されることになり、現場の車両運用にはある程度の余裕が生じることになりそうです。 せっかくの個室車両が減ってしまうのは少し残念な気もしますが、それが安定運行に寄与するならと、一利用者としては好意的に受け止めたいと思います。 その2号車・B寝台車の車掌室側の連結部分。 いつもは「北斗星」のマークが出ている貫通扉の表示幕が今日はなぜか白地でした。 些細な点ですが、JR北海道所属の個室車両の連結部分にあった「内幌」が全て撤去されていました。 ジャバラの幌が直接目に触れないよう可動式の金属板でカバーし、美観と共に衣服の汚れを防いだりする効果もあったようですが…。 少々分かりにくいかも知れませんが、これが撤去前の「内幌」。 運休前、最後に乗った時のスナップです。 少なくとも今年2月時点ではまだ残っていましたから、やはり運休中に何らかの事情で撤去されたようです。 私事ですが、こういう節目の日の列車では、普段まず買わないようなグッズを何かひとつ記念に買ってみることにしています。 で、今回選んだのがこの「スケルトントランプ」。 透明の樹脂板に「北斗星」や「カシオペア」の車両イラストがプリントされたものです。 だいぶ前から売られていたようですが、「機関車が替わってイラストが新しくなったんですよ!」とアテンダントさんが教えてくれました。 ちなみにジョーカーは食堂車でした。 ▼Next ▲Prev △Page top ■Menu |
【寝台】 A1:1人A個室ロイヤル A2:2人A個室ツインDX B1:1人B個室ソロ B2:2人B個室デュエット B上:B寝台上段 B下:B寝台下段 |