つい先週、往復飛行機利用での本州行きを挟んだので、何だか随分久々のような気がします。
開業25周年記念日…3月13日以来の「北斗星」の旅。
当たり前ですが車窓はもうすっかり春らしくなっていました。
夕陽を浴びて、日陰の残雪と線路際のフキノトウに見送られて一路東京を目指します。
南千歳を過ぎた頃、夕陽を背に新千歳空港へと高度を下げていく飛行機の姿が見えました。
「北斗星」と飛行機、というのもいずれ絡めて描いてみたいモチーフです。
苫小牧あたりで陽は沈みましたが、暮れなずむ車窓の景色は東室蘭、伊達紋別あたりまでは楽しむことができました。
紫色の空に白鳥大橋、室蘭の山々の陰と街明かりが印象的な風景でした。
ふと思い立って、デジカメの感度を最大値ISO12800に設定し、部屋の明かりを全て消して窓に向けてシャッターを押したら、肉眼では見えなかった駒ヶ岳の姿が液晶モニターにくっきりと浮き上がりました。
撮れたとは言っても御覧の通り、粒子も色もかなり粗くて鑑賞写真としてはいささか無理がありますが、絵を描く為の参考用と割り切るなら、こういう写真でも残しておく価値はありそうです。
函館駅での機関車交換作業中、今度は感度をISO800にまで下げて、シャッター速度を思いっきり遅くして函館山を狙ってみました。
さすがに停車中でなければこのような撮り方はできませんが、やはりこちらの方が写りは俄然綺麗なようです。
いずれにせよ、フィルムカメラの時代には難しかった夜景の撮影が誰でも簡単に出来るようになったのはつくづく有難い話で、これからも夜行列車の貴重な光景を少しでも記録すべく、知恵を絞って色々挑戦してみようと思っています。
新中小国信号場手前、青森側の新幹線分岐点の工事現場。
今夜は何か大掛かりな作業が行われるのか、アーチ型の橋桁全体が煌々と照らされて夜の闇に白く浮き上がっていました。
深夜、青森駅での機関車交換。
今日は銀色の「カシオペア」塗装の機関車がやってきました。
浅虫温泉を通過したところで見える陸奥湾は特にお気に入りの風景で、とりあえず、ここを過ぎるまでは頑張って起きているのがいつものパターンです。
とりわけ今夜は良い雰囲気で月明かりが海を照らしてくれていました。
画質を取るか、感度を上げるか迷った末、やはり実験のつもりで感度をISO12800にまで上げて撮ってみました。
福島県に入るあたりで目が覚めました。
昨晩は部屋に暖房を入れていたのですが、今朝は暖房を切っても少し暑い位の陽気です。
遠くに見えるのは安達太良山…でしょうか?
冠雪の山並が朝陽を浴びて青空によく映えていました。
水を張った水田、咲き乱れる菜の花…。
東京に近付くにつれて徐々に季節が進んでいくようです。
上野に着く前、車窓に広がる尾久の車両基地の方に目をやると、つい最近まで「北斗星」を牽いていた「EF510」の仲間が5両ほど連なって、パンタグラフを下ろしたまま置かれているのが見えました。
「北斗星」「カシオペア」の新しい牽引機として全15両が導入された「EF510」ですが、先月のダイヤ改正以降、本業の傍らで担っていた首都圏の貨物列車運用から撤退し、デビューから僅か3年ほどで相当数の余剰車が生じてしまったと訊いています。
恐らく今後は寝台特急用として最低限の数を残して、残りの車両はまた新たな勤め先を探して異動していくことになるのでしょう。
去る者と残る者、同じ仲間の機関車でも運命は様々なんだなぁ…と、ちょっと切なくなる光景でした。
9時38分、ほぼ定刻通り上野駅13番線ホームに到着すると、隣の15番線には先行の「カシオペア」が停まっていました。
今朝は「カシオペア」のほうが「北斗星」カラーの青い機関車。
そして今日は「北斗星」のほうに回った銀色の機関車は、僅か2両しかいないだけに当然「残留組」になるのでしょう。
冬場はダイヤ変更・減速運転で「北斗星」のみ到着時刻が30分ほど繰り下がっていたので、こうして2本の寝台特急が並ぶ姿はしばらく見ることはできなくなっていました。
ちょっと懐かしい、そして実に絵になる朝の上野駅の風景です。
今日3月13日は「北斗星」開業25周年の節目の日。
10周年、20周年、ついでに去年の24周年の時も乗っていましたが、とりわけ今回は感慨深いものがあります。
この日の列車に、自ら「北斗星」のイラスト・記事を手掛けた新刊を手に乗ることができたという幸運…。
集大成…などと言うにはまだまだ早過ぎますが、絵描きになって良かった!と少しだけ思えた瞬間です。
昨年暮からお手伝いさせて頂いてきたJTBの交通ムック「今こそ乗りたい寝台列車の旅」。
ちょうど東京滞在中に刷り上がったとの報を受けて、早速版元を訪ねて見本誌を受け取ってきました。
私が担当させて頂いたのは「旅する前に知っておきたい!寝台列車のヒミツ」と題するコラム欄。
熱心なファンの方には周知のネタばかりかとは思いますが、上下列車で異なる走行ルートの謎や、途中二度も進行方向が変わる理由、それに北海道新幹線開業後の青函トンネルの使われ方などを極々簡単に整理して、描きおろしイラストと共に紹介させて頂きました。
その他、「北斗星」の乗車記、走行ルートマップのページに掲載されている駅や車内の写真も色々提供させて頂きました。
誌面には一枚毎の撮影者名は記されてはいませんが、実は「北斗星」のページに関しては結構な枚数が私の撮影です。
ところで今宵のパブタイム。
節目の便という割には随分静かな車中でした。
お気に入りの煮込みハンバーグセット加えて、食後にはアイスクリームを追加注文。
本当はアイスクリームはファイターズが勝った晩だけのお約束ですが、やっぱり今夜だけは特別です♪
敢えて昔風に言うならば「北斗星2号」と「北斗星5号」…でしょうか?
手元の時計で2時20分頃、いつもより若干遅れて上り列車とすれ違いました。
目が覚めると既に北海道。
津軽海峡の海岸線を少し離れて、上磯のセメント工場が見えるあたりでした。
青函トンネル工事たけなわの頃は、この工場からも大量の資材が送り出されていたのでしょうか?
函館発車後、ほどなく通過する五稜郭の車両基地の構内には、新幹線開業後の青函トンネル区間で使われるJR貨物の新型電気機関車「EH800」が停まっているのが見えました。
つい最近、最初の1台がプロトタイプ機として落成し、今は本格増備に向けての試験が行われているそうです。
「新幹線開業後は架線電圧が変わる為、現在の津軽海峡線用の電気機関車『ED79』は走ること自体できなくなってしまいます。仮に『北斗星』を走らせ続けるとしたらJR貨物から『EH800』を借用するか、JR北海道自ら同等の機関車を購入しなければならず…」と、そんなコラムを新刊にも載せて頂いたばかりでしたが、こうして実車を目の当たりにすると、まだまだ先だと思っていた新幹線開業がもうすぐそこまで来ているんだなぁ…と、少々複雑な思いに駆られます。
今朝の大沼国定公園。
小沼の湖面は凍結し、駒ヶ岳の上の方には少しだけ雲が掛かってしまいました。
「これから列車は駒ヶ岳の裾を走って参ります…」
このあたりで車窓案内の放送が入るのはよくあることですが、今日の車掌さんは更に続けて、「駒ヶ岳には2つの頂きがあり右の方が山頂、元々は富士山のような形でしたが噴火で崩落して現在のような形になりました。最近では昭和4年の大噴火、平成12年に小噴火があり、現在も微量ですが噴火活動を続けています…」云々と、いつもよりも随分長めに詳しく説明して下さいました。
その後しばらく車窓には駒ヶ岳の美しい姿が楽しめましたが、姫川駅を通過するあたりから急に雪が降り出して、ほどなく山も視界からすっかり消えてしまいました。
「右手に見えている海は内浦湾、別名噴火湾です…」
森を過ぎてからも丁寧な車窓案内は続きました。
落部駅でしばらく停車。
やがて、いつもより若干遅れて現れた「スーパー北斗1号」がゆっくりと通過していきました。、
後を追うように「北斗星」も動き出すと、ほどなく「只今、8分ほどの遅れで運転しております…」と車内放送が流れました。
長万部を過ぎ、洞爺に近付く頃には再び青空が広がってきました。
まだまだ雪景色とはいえ、3月も半ばになると陽射しには心なしか春の気配も感じます。
節目の便では何か記念の品を買い求めるのがお約束ですが、革製キーホルダーも、懐中時計も、既にあらかた購入済み。
さて何を買おうかなぁ…と悩んだ末、車内販売品ではありませんが、タイミングよく新発売になったこんなものを都内で買って帰ることにしました。
北海道内で「北斗星」を牽くディーゼル機関車「DD51」の模型。
それも一般的なNゲージではなく、更に小さなサイズの「Zゲージ」という規格の製品です。
「北斗星」が走り始めた25年前を振り返れば、Zゲージの模型と言えば西ドイツ(当時)製の高価な製品が僅かに流通していた程度で、勿論、日本型の製品などは皆無でした。
それが今では手頃な値段で、こうしてZゲージで「北斗星」まで楽しめるようになろうとは…。
つくづく時代の流れを感じてしまいます。
振り返ると実際の日数以上に長旅だったような気がしてしまいます。
5分ほどの遅延で終点・札幌到着。
東京では20度を超える日もあったのに、ようやく戻ってきた札幌は今日も激しい吹雪でした。
前日からの暴風雪で札幌圏でもダイヤが混乱。
既に発車済みの列車ですが、改札前の掲示板には上り「トワイライトエクスプレス」85分遅延と書かれた紙がまだ貼り残されていました。
「北斗星」も17時12分、いつもより10分弱ほど遅れて札幌駅4番線ホームに入線したものの、その後なかなか動き出す気配はありません。
そのうちに隣の3番線には札幌では珍しい1両編成のディーゼルカーがやってきて、やがて小樽方面へと回送されていきました。
結局、札幌を発車したのは17時37分。
25分ほどの遅延となりましたが、よもや後々、この遅延が思わぬ偶然を招くことになろうとは…。
夜も更けるにつれて遅延は40分ほどにまで拡がりましたが、道中は思ったよりも穏やかな空模様でした。
大沼を通過してから仁山、渡島大野にかけて、函館方面の街の明かりが見えるあたりは特にお気に入りの車窓風景です。
この区間、上下列車で経路が異なることはご存知の方も多いかと思いますが、実は最近、その理由と経緯を綴ったコラム原稿を執筆する機会があり、限られた文字数で、簡潔に、しかも熱心な鉄道ファンの方々でなくても理解して頂けるようにまとめるのに少々難儀したのを思い出します。
掲載誌はそろそろ刷り上がって版元に届く頃でしょうか?
タイミングよく東京滞在中に手元に届くと嬉しいのですが…。
いつもよりも少し早目に、函館手前で出掛けてみたパブタイムの食堂車は既に満席でしたが、たまたま先に来られていた顔見知りのリピーターさんと相席で座らせて頂くことができました。
3月上旬の土曜日の上り列車、観光シーズンにはまだ少し早いかな?と思っていたのですが、そろそろ春休みの混雑時期になりつつあるのでしょうか?
青函トンネルを抜けて青森県内に入ると、雪よりも凄まじい風が容赦なく襲ってくるのが車内にいても分かりました。
将来、北海道新幹線との分岐点となる新中小国信号場手前の高架橋付近。
在来線を跨いでいく新幹線の橋桁も現れて、いよいよ工事が進んでいる様子が窺えました。
深夜…というより未明でしょうか?
時計を見れば3時18分、盛岡を過ぎると北上川の向こうに街のあかりが見えていました。
松島湾あたりで一旦目が覚め、福島盆地に差し掛かる頃に本格的に起き出しました。
朝一番の車内放送によれば現在30分ほどの遅延との事。
強風の影響が心配でしたが、思ったよりは割と順調にここまで来れたようです。
郡山を発車してすぐ、車窓左手に広がる車両工場に置かれていた特急型電車。
よく見ると40年近く前、北海道内で特急「いしかり」として活躍していた電車でした。
その後本州に移動して、最近まで首都圏で臨時列車等に使われていたようですが、今月のダイヤ改正以降、比較的車齢の若いJR世代の特急車両にも余剰車が生じるので、恐らくはそれらに置き換えられていよいよ勇退の時を迎えることになったのでしょう。
言わば「北斗星」の大先輩にあたる電車、最後に一目見ることができたのも不思議な因果を感じてしまいます。
ボディカラーこそ変わったものの、運転台の上にヘッドライトが2つ並んでいるのが北海道型の証。
同タイプの電車でも、内地仕様はこの部分のヘッドライトは1つだけなのが一般的です。
朝の食堂車も結構な混雑。
またも昨晩と同じリピーターさんと相席させて頂くことになりました。
新白河を過ぎたあたりで車窓に見える青く塗られた古い貨車。
個人の方が買い取って家屋(?)として改装されたものでしょうか?
痛みが進んでいるようにも見えて気になっていたのですが、よく見ると「売家」の看板が掲げられていました。
手元の時計で10時40分、約40分弱の遅延で終点・上野の15番線ホームに到着すると、隣の16番線には、いよいよ6日後のダイヤ改正で引退する旧型車両の「スーパーひたち19号」が停まっていました。
「北斗星」の開業は昭和63年(1988)3月13日。
「スーパーひたち」は確か翌年、平成元年(1989)の春だったでしょうか?
まさに新生JRのイメージリーダーとして、満を持して世に送り出された当時の衝撃度と言ったら、現在の「はやぶさ」「スーパーこまち」級かそれ以上だったと言っても過言ではないでしょう。
後で時刻表を調べてみると、「スーパーひたち19号」は10時28分入線~11時発車。
偶然の遅延と冬季限定の番線変更がもたらした、恐らく最後の貴重なツーショットとなりました。
昨日の札幌は氷点下、今日の東京は20度超の予報…。
とりあえずコートと荷物をコインロッカーに預けてしまいます
強風の為、この日の夜の下り「北斗星」は早々に運休が決まっていましたが、夜になって荷物を取りに上野駅に戻ってみると、いつもなら「北斗星」が出る13番線ホームには懐かしい列車が停まっていました。
3年ほど前まで「北斗星」を牽いていた旧型の電気機関車と、やはり5年前のダイヤ改正・減便で「北斗星」運用から外された寝台車が5両ほど。
中には旧「北斗星3・4号」に使われていた一両まるごとの「ロビーカー」も連結されていました。
首都圏での運転士さんの訓練列車として時々このような編成で走っていることは知ってはいましたが、たまたま何度か目撃したのはいずれももっと早い時間帯。
こんな時間に上野駅に入ってきたのは、やはり日中からの強風によるダイヤ混乱の影響だったのでしょう。
遅延のおかげで…などと言っては叱られそうですが、3日後の「北斗星」開業25周年を控えての思いがけぬ嬉しい再会となりました。
車内改札の車掌さんに渡されたルームキーのキーホルダーがいつのまにか新品に替わっていました。
厚みのある革製のなかなか立派なもので、今でも北海道の車掌さんが車内で販売されているお土産品と同じもの…かと思いきや、販売用はかつてA個室「ロイヤル」の鍵として使われていたもののレプリカで、ヘッドマークが型押しではなく別の金属部品になっているなど全くの別物です。
わざわざ別注で作られたのか、それともたまたま社内に残っていた在庫品を出してきたのかは分かりませんが、いずれにせよ運転開始から四半世紀、今でも現場の方々が「北斗星」を大切にして下さっている様子を垣間見たような気がしました。
帰宅ラッシュの大宮駅。
向こうのホームには珍しく昔懐かしいスタイルの特急電車が停まっていました。
郡山ではいつも磐越東線の普通列車が「北斗星」とほぼ同時に発車します。
ダイヤ上は「北斗星」の方が少しだけ早くなっていた気もするのですが、ドアを閉めた後、「運転士さん、こちら車掌…1列車、発車!」と無線で発車合図を送らなければならない昔ながらの客車列車と、ドアを閉めたら即座に発車できるディーゼルカーの違いもあって、実際には大抵、ほぼ同時に動き出すことが多いようです。
とは言え、ほんの秒単位のズレでも位置やスピードが変わってしまうので、なかなか写真に収めるのは難しいのですが、今回は駅を出てから線路が大きく離れていくまで、6号車の私の部屋から丁度良いポジションでピッタリ併走してくれました。
深夜の一ノ関駅、保線作業の真っ最中でした。
目覚めてみると、青森方面の大雪の影響で40分ほど遅れているとの事。
でも、おかげでちょうど函館湾で素晴らしい朝陽に出会えました。
やはり今回も、「お急ぎの方は五稜郭駅から『スーパー北斗1号』に…」とのアナウンスがありました。
ちょうど先月、1月9日発の下り列車の時と同じパターンです。
例えば南千歳から帯広方面、札幌から旭川方面への乗換え等々も含めて、決して列車本数が多くない故、一本逃すと先々の旅程にも大きな影響が及んでしまう北海道ならではの事情もあるかと思いますが、こういう時の臨時停車や振替輸送、接続列車の発車繰り下げなどの対応の手際の良さにはいつも感心させられます。
ダイヤが乱れている時など、いつもと違うタイミングで対向列車が現れて、思いがけず絵になる風景に出会えることもよくあります。
駅名は失念してしまいましたが八雲~長万部間、海の見えるホームに佇む雪まみれの普通列車の姿が妙に印象に残っています。
函館からずっと穏やかな冬晴れでしたが、長万部の手前から突然激しく雪が降りだしました。
噴火湾を囲む地形のイタズラか、このあたりで突然変わる空模様にはいつも驚かされます。
激しい吹雪も洞爺の手前でピタリと止んで、車窓には再び青空が広がりました
いつもなら9時12分、伊達紋別で函館行きの上り特急「北斗4号」と行き違うところですが、今日は約40分遅延の9時52分の到着…。
しかし向こうもたまたま同じ位遅れていたらしく、結果的にはいつも通りの行き違いに収まりました。
伊達紋別付近に残る単線区間が、文字通りのボトルネックなんだなぁ…と、こういう時にはいつも考えさせられます。
南千歳到着前、旅客機が轟音と共に真上を横切っていきました。
南千歳を過ぎるとまたも吹雪に包まれましたが、豊平川を渡るあたりで嘘のように晴れ渡ってしまいました。
遅れは更に拡がって、12時過ぎ、約1時間弱遅延で終点・札幌に到着です。
テレビ塔も、JRタワーの頂上も見えない位、札幌を出る時から重たい湿雪がかなり激しく降り続いていました。
見ていると、この列車も、すれ違う列車も軒並み数分程度ずつ遅れが出ているようです。
出発前に見た天気予報では今週末も荒天との事。
ちょうど復路の頃に当たりそうで、今からちょっと心配になります。
今日の寝台は5号車の1人用B個室「ソロ」。
部屋に入ると、テーブルにはいつもの車内誌と共に、運行時刻や車内設備の案内などを綴った紙が置かれていました。
恐らくは意欲ある現場社員の方が工夫して作られたのでしょう。
オフィシャルなパンフレットというよりも、いかにもカラーコピーかPCプリンタによる手作りといった雰囲気がむしろ微笑ましく、何より乗客への心遣いが感じられてちょっと嬉しくなりました。
そして車掌さんの不在中、5号車の車掌室のドアには前回見た写真入りのボードの代わりに、シンプルながら分かりやすい案内が貼り出されていました。
きっと社員さん各々、自分の出来る範囲で最善の方法を考えて下さっているのでしょうね。
函館到着は6分遅延の21時42分。
いつもは「北斗星」到着後に入線する函館からの特急「スーパー白鳥33号」が今日は先に到着していました。
機関車交換を観に行くと、いつもは空いている隣の線路にB寝台車が1両。
ピカピカの車体や黒光りする台車まわりを見ると、どうやら五稜郭の車両工場で検査を終えたばかりの車両のようです。
多分この後、札幌行きの下り急行「はまなす」に連結されて札幌・手稲の車両基地へと回送されていくのでしょう。
よく見るとドアの窓には、この車両には乗れない旨の案内が貼られていました。
青函トンネルを抜けた後、本州側の地上トンネル内で下り「はまなす」とすれ違いました。
きっとこの後、機関車交換作業に合わせて先ほどのB寝台車を連結していくのでしょうね。
朝6時頃、福島あたりで目が覚めました。
ちょっと残念な曇天ですが、幸い定刻通りに走っているようです。
郡山を過ぎた後、ほどなく通過する貨物ターミナルの奥のほうには、引退したばかりの旧型の電気機関車「ED75」が何台も連なって置かれているのが見えました。
以前は貨物列車のみならず、ブルートレインや普通列車なども牽いて東北筋で広く活躍していたお馴染みの機関車で、私も何度か普通列車でお世話になったのを覚えています。
正直、行く先々どこでも沢山見られたものなので、当時はそれほど興味を感じることもなかったのですが、それでもいざ退役と訊くとやっぱり淋しいものです。
「本日は混雑が予想されます。お待ち頂く場合やご相席となる場合もございます…」と、モーニングタイムの開始を知らせる車内放送でも念を押されていましたが、出掛けてみると案の定、食堂車は既に満席。
テーブルが空くのを待つお客さんでロビーも座れないほどの混雑でした。
20分ほど待ってようやく相席で座らせて頂くことができました。
それにしても、雪まつりも終わった後の閑散期の平日なのに?…と、時ならぬ大混雑を前に不思議に思っていたのですが、レジのところで団体旅行の添乗員さんが約20名、3万円ほどの領収証を受け取られているのを見て納得。
オープン早々、団体さんが一斉に食事に来られていたんですね。
定刻10時04分から数分遅れて上野駅15番線ホームに到着すると、後を追うように反対側の14番線にも普通列車が入ってきて、余韻に浸る暇もなく、広いホームは一気に普段着姿の雑踏に包まれてしまいました。
15番線の車止め付近、旅情を誘う啄木の歌碑の向こうに見える機関車の顔も、今日ばかりはいささか肩身が狭そうに見えました。